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Trip to my world

 

パーソナルエッセイ  
倉吉市報−韓国リポート平成13年2月号 過去の市報
 
平成10年度国際交流活動実績
平成11年度国際交流活動実績  

T.パーソナルエッセイ 高校1年生の時、進学について悩んでいた時に頭の中に閃いたのは自分の名前だった。ソン ミンホ。ミンという字は日と文が一文字で、ホは金偏に高を使う。韓国では日本語と日本文学を専攻する学科を日語日文学科と呼ぶ。つまり、日本文学を勉強すると金が高くなる。出世できそうな気がして日本語を選択することにした。もちろん日本語には大変関心を持っていた。

とても記憶に新しいが今振り返ってみると、そういった閃きは運命のようである。日本語を勉強し始めて、私は色々な良い機会をつかめた。一人での日本旅行、JCの文化交流会参加、東京語学研修、広島交換留学。そういった経験から国際的な感覚を身につけることができたし、国際交流にも自然に関心を抱き始めた。今まで参加したボランティア活動や通訳は、自分が漠然と抱いていた国際交流員という仕事に対する確信をもたらし、結局私の夢が現実化し、国際交流員という仕事をしているわけである。

96年冬季ユニバシアド大会のVIP通訳、日本でラジオやテレビの出演、国際親善野球大会の通訳、日韓親善協会が主催する数多くの行事に参加、広島市と韓国デグ広域市との国際姉妹都市調印式通訳、日本人に韓国語指導(その日本人は留学試験に見事合格して韓国で留学中)等私にとってはどれも貴重な経験であった。日本に留学して一番良かったのは色んな国から来た留学生と日本人と一緒に勉強することができて、またその交流を通じてグローバルな考え方を身につけれたことである。21世紀を迎える国際時代に相応しい人間として、このような考え方を身につけれてとても嬉しく思う。

今、倉吉市で国際交流員として働いているが、これも縁が深い。平成9年友達らと鳥取砂丘に遊びに行く途中、道に迷って倉吉と米子という地名が頭の中に残っていた。また偶然テレビで倉吉ビートルズと英語指導助手との交流やビートルズの生まれ故郷イギリスで彼らの夢が叶えるのを見た。国際交流員試験を受けるために願書を貰い、自分が希望する地域を記入する欄があった。その時、倉吉市という地名があって、迷わず選択して今このように倉吉市で活躍している。

国際交流員として勤める機関は短いが、お互いの文化をありのまま理解できることなら何でもやりたい。日韓両国の掛け橋として日本と韓国の間にできている溝を埋めれることなら、そして日韓のわだかまりを無くせることなら、これ以上の遣り甲斐は無いであろう。

希望としては、国際交流員として任期が終わったら、日本での経験を生かせる、世界協力にも貢献できる国際交流団体で働きたい。

U.倉吉市市報−韓国リポート(平成13年2月号) 3年を振り返って


平成10年4月に倉吉に着任し、この3月をもって倉吉を離れることとなりました。3年前を振り返ってみると、来倉当時の緊張感、わくわくする気持ちなど、今でも走馬灯のようによみがえってきます。
倉吉で日韓交流の仕事に携わり、大勢の方々とめぐり合い、国際交流のイベント、翻訳、通訳、韓国語講座、講演会などは、本当に良い勉強となりました。これらの経験は、今後、私の人生の糧となるであろうと確信しています。
来倉する前に2年間の日本滞在歴はありましたが、社会人として歩み出した倉吉は、忘れ難く、そして思い出深いまちになるでしょう。今では第2の故郷であるとさえ思っています。
通勤途中にある白壁土蔵沿いのきれいな川や、ポケットパークなどは、毎日のように眺め、いつも心が和まされていた、特にお気に入りの場所です。もうすぐ倉吉を離れますが、倉吉で出会った方々や倉吉の町並みは一生忘れられないでしょう。
いろいろな方々にお世話になりました。紙面を借りて感謝申し上げます。
最後に、倉吉市のますますのご発展と市民の皆さんのご健康をお祈りします。

 ボランティア活動(正しい情報発信)

 *YAHOO KOREA ボランティア新聞翻訳

 *故郷のYoungJu ネットに記事掲載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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